各かもくの終了後、せんせい+こどもたち+おたすけびと(エメ スズキ)で、質問をやりとりしたり、インタビューを行いました。その一部をご紹介!
しつもんとおへんじ
こども「いつもは、どこの小学校とか、どこでこういうかんじのじゅぎょうをやっているんですか」
たまこせんせい
「たまちゃんはふだんは、先生というわけではないので、じつはこういうので、えんそうをしたりする「えんそうか」のおしごとをしております。なので、せんせいになるのは、ときどきなので、こういったきかく、今日はエメさんがきかくしてくれたんだけど、そういうのにおじゃましたりとか、なんか、おんがくスクールにおじゃましたりとか、しえん学校とか、そういうところでやったり、ときどきしてます。」
おたすけびと(エメ スズキ)
「さんすう」レポート1 宮浦 宜子
さんすう
宮浦 宜子
「算数」というのは、足し算、引き算、掛け算、割り算などの処理をつかって、日常の事象を数理的に処理する知識や技能を身につけ、それをもとに、筋道をたてて考えたり、的確に表現したりすることを学ぶ科目である。学校での授業での先生がそれらを教えるときに扱うのは、当然ながら、数えられるもの、あるいは数字そのものである。
ただ、この「さんすう」の先生は、音楽家のかつふじたまこさん。扱うのは音。しかも、子どもたちが持ってきたり、かつふじさんが用意した、さまざまな日用品を用いて、いろいろな方法で出す、多様な音だ。
かつふじさんは、不等号記号を示しながら、前の音より大きい音、前の音より小さい音を、子どもたちに出すように促す。セロファンをくしゃくしゃと丸める音だったり、かえるのおもちゃを落とす音だったり、いろいろなタイプの音があるから、単純に大きい、小さいと言いがたかったりもする。でも、子どもたちは、友だちの出す音に耳をすませ、自分の音の出し方をコントロールし、より大きいと思える音、より小さいと思える音を出そうとする。そして、それがみんなにもそう聞こえたのか、確認しあう。
次は、図形を音にしてみる。丸の音、三角の音、四角の音。角の鋭さを音色を表現しようとする子がいるかと思えば、形をなぞるように身体を動かして、音を出す子がいる。ひとりが目をつぶり、他のみんなが表現した図形が何だったかを当ててみるが、意外と当たらない。ある子どもが、音が大きいから四角だと思った、と言ったのを聞いて、その子が記号としての図形ではなく、実際に描かれている図形そのものをきちんと見ていたのだ、ということがわかる(書かれている図形の中で、四角の面積が一番大きかった)。
かつふじさんは、終わりの会で、正解はひとつではなくて、いくつもあるよということを伝えたかったとおっしゃっていた。
「算数」の数理的な処理の世界では、正解はひとつだ。そして、日常生活の中では、正解にたどりつく必要があることも確かにある。ただ、現実には、数ではとらえられないこと、それゆえ正解がひとつではないこともたくさんあって、それは大人である私たちが一番よく知っている。かつふじさんの「さんすう」は、そんなことを「算数」の窓を通して、音で体感させてくれる授業だったように思う。
宮浦宜子(食卓ディレクター)
1973年北海道札幌市生まれ、兵庫県宝塚市在住。教育現場や地域コミュニティにおけるアートマネジメントに携わったのち、2016年よりLife on the tableとして、様々なものが出会い、交わる場としての「食卓」をテーマにワークショップや執筆活動を行う。
「さんすう」レポート2 弘田 陽介
さんすう
弘田 陽介
数をつなぐ記号である+や>を見ても、勉強に慣れた私たちは何も感じず、ただ演算を行うだけだ。
かつふじせんせいはこの記号を子どもたちに示し、感覚を読み取らせる。
小さくなる、大きくなる。
うちわのように作られた+や>の札を用いて、
指揮者のように、この大小の動きの中にある感覚を見つめ、その感覚を頼りに子どもたちは自分で選んだ手作り楽器を振る。
時折、クルリと記号を転換する。
だんだん大きくはある時だんだん小さくに急に変わる。
この変換から生まれる微妙な質感。モードチェンジ。
増えると減るは対概念なのだけど、
身体を通して、この転換の間を経験すると、
この二つは全く別の質感があることがわかる。
甘いと辛いは言葉の上では反対かもしれないが、食べてみると全然違う。
大きい、増えると、小さい、減るは別の経験だ。
この質感は、音の形という言葉を導入することでさらに増幅される。
丸い音 三角の音 四角い音。
目を瞑って、この楽器の音に耳を澄ますとどんな感覚が生まれるのか。
おそらく普段の生活では、生活の道具を用いて音を出すことは禁じられている。
音を出す道具は楽器だけという観念はいかに抑圧的であることか。
どんなものからも音は出る、その音からどんなことだって感じることができる。
さんすうだって感じることができる。
弘田陽介(大学教授)
福山市立大学教育学部教授。専門はドイツ教育思想、実践的身体教育論、子どもと保育のメディア論。著書に『近代の擬態/擬態の近代 カントというテクスト・身体・人間』(東京大学出版会)、『いま、子育てどうする?;感染症・災害・AI時代を親子で生き抜くヒント集35』(彩流社)等がある。
「さんすう」レポート3 花沙
さんすう
花沙
かつふじたまこせんせいのさんすうの時間では、参加者のお友達がおうちから身近なものを持ちよっていた。ビニール、文房具、プラスチックのカプセル・・。それぞれ、思い思いの方法で音を出してみる。持ってきた素材と、自分なりに向き合う時間だ。手のかげんによって、様々な質感の音が出てくる。音の感触・・そういったものに丁寧に向き合う。たまこせんせいが、+の記号を出したら、お友達の音に自分の音を重ねてみる。そうするとまた違った質感の音が生まれてくる。どんどん重ねる。また、せんせいが不等号の記号を用いたら、お隣のお友達よりも大きく出してみたり、小さく出してみたりする。音の強弱にも丁寧に向き合う。みんな、大きく音を出すには、小さく音を出すには、と、試行錯誤している。
さらに、〇、△、□の「かたちの音」を探すことになった。たまこせんせいが用意してくれた、たくさんの身近な日用品にも触れながら、自分なりの「かたちの音」と出会っていく。〇の音はこんな感じ、△の音はこんな感じ、という風に、自分なりでいいので「かたちの音」を奏でる。もちろんみんな違う。自分が感じた「正解」を探す時間だ。でも、みんなで一斉に〇の音を奏でた時、なんとなく角のない滑らかな感じのする音が揃った。みんな違うけど、一緒だね、と感じる部分もあるのだ。
9歳の長男は、「かたちの音」が特に面白かったようだ。「〇の音は、優しい感じ。」といいながら、木製の椅子をトントンと叩いてみる。「△はぶつける感じ」といって、あーっと声を出しながらばちっとテーブルを叩いてみた。「□はこすった音!」と、カーペットをこすった。しゃあしゃあと音がする。
音に良い悪いは無いと気付かされる。正しい、間違っているも無い。様々な素材の個性的な音に触れ、自分が好きだな、面白いなと感じる音を選ぶには、静かな自分との対話が必要だと思う。自分で自分に「それでいいよ」と言ってあげる感じだ。通常の学校の算数では、みんなが同じ一つの正解を書かないといけない。正解、不正解の世界だ。たまこせんせいのさんすうは、正解はたくさんあるよ、あなたはどれを選ぶ?どれが好き?と問われている。それがとても心地よかった。
花沙(踊りと発達支援について考えるひと)
幼少より踊る身体の表現性に深い興味を覚える。神戸大学及び大学院にて舞踊教育学を修め、00年よりコンテンポラリーダンスの活動を始める。現在、立命館大学非常勤講師(ダンス)。発達凸凹の兄弟を育てる2児の母。