おわりの会 りか

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しつもんとおへんじ

(以下、全てメールで行われました)

<しつもん(保護者の方から)>

うたこせんせい、楽しい「りか」をありがとうございました。
「日常の不思議に気付いていく」ために、日常生活の中でどのような心掛けで、子ども達にどのような言葉がけをしてあげたらいいか、何かヒントを頂けましたら幸いです。
・・といいますのも、6歳の次男は、歩いていも道端に咲いている小さな花たちに気が付いて色の違いや形の違いに驚いたり、教えてくれたりします。9歳の長男は、だんだんそれが少なくなってきました。明日のことなどを思い煩ったりすることも増えてきたな・・と思います。この部分は、大人も十分に内省するべきところじゃないかと思っています。

<うたこせんせいからのおへんじ>

質問ありがとうございます。
「ことばかけ」奥が深いですね。
たとえば、「ことばかけ」の解釈を広げてみるのはどうでしょう?
「ことばかけ」はことばの量や応答の頻度では測りきれないところがあると思うんです。

特にごきょうだいのたとえのお話。文章からの推測になってしまうのですが、ことば数や発言内容に目を向けてしまうと、目に見えている状況で比較してしまうゆえにより差が広がって感じられるのかもしれません。

また、うまれながらの個性ももちろんありますが、それぞれの年齢による育ちのリズムがあるなといろんな子どもたちと交流してきて思います。

たとえば、この世界のとらえかた(「認知」)は、実際に手を動かしていろいろ試して感覚的にこの世界とかかわり実感していく6歳という時代と、目には見えない概念が加わり、頭の中でいろいろ試行錯誤しながらものごとへの理解を深め自分なりに世界を構築しはじめていく9歳という時代では日々出会ってる日常が違う世界であることも自然なことです。

でも、私は年齢を超えて、子どもたちはその時の自分の興味・関心(好奇心)から動くことには夢中になれる存在だと感じています。

だから、大人にできることがあるとすれば「観察」し続けその子の好奇心のスイッチに気づくこと。そのまなざしを磨くことです。そして、大人からみたら一見わかりにくいけど、内面に広がっている世界があることを信じることかなって思います。

私は、WSを考えたり、子どもたちと交流する時に、空間に「ことば」をかけるようにしています。たとえば、興味を持った時、子どもだけでは手にすることができない図鑑や写真集をそっとみえるところにおいていたり、道具を与えてあげることもひとつです。空間にさりげなくちりばめていくのです。ルーペや自然物をみる万華鏡なんかもおすすめ。

雨の日の葉っぱの雨粒をみたり、花のみえかたも変わってきます。「キレイだなぁ。」「おもしろいなぁ。」とそうした道具は身近な世界のみえかたを一瞬にしてかえてくれます。そして、みたものから、きっとなにかイメージを広げて遊びがうまれるはずです。

そんなふうに、「ことば」だけでない、「ことばかけ」もとりいれながら、ぜひ、ご自身の「ことば」に目を向けて、大人が毎日なにか美しいものや面白いものに目をむけて楽しむ姿に出会えることも、また空間に伝染していくように思います。

「いくつになっても、知ってるようで、知らないことはたくさんあると思うので、子どもたちと一緒に、面白がることから不思議はうまれていくのだと思います。

ぜひ、日常のすきまに遊んでみてください〜。

<しつもん(こどもから)>


「うたこさんが、今回の、りかで、ジッケンをしようと思ったのには、ギモンがあったからだと思うのですが、そのギモンは、何だったのですか?」

<うたこさんからのおへんじ>

私は今、お山の中にある公園でおしごとしています。森の中にはたくさんのイキモノがすんでいて、まいにち、いろんなムシや植物との出会いがあります。ムシや植物のはかせたちと森の中を歩きながら観察していると、森の景色が変わってみえてきて、すごく驚きます。

はかせたちの目は自分とおんなじものをみているようで、そこからみえてる世界がぜんぜんちがうんですね。

よ〜くみること(ときには、おっきくしてみたりすることも)で、いきものの色やかたちには意味があることを知りました。

このジッケンを考えたのは、みんなに、ひとつのものをよくみてもらいたいと思ったことがきっかけです。
そして、知りたかったんです。みんななら、なにからどんなイロを発見してどう感じるだろう?って。

そんなギモンがジッケンのはじまり。みんなの目からみた世界がどうみえてるか知りたかったのです。

私はいっしょに遊ぶことが大好きなので、いっしょに遊べるジッケンにしようと、今回のりかの時間を考えてみんなにお手紙として届けました。

いっしょにジッケンしてくれてありがとう。みんなのみえてるものが伝わってきました。

<うたこせんせいからみんなへのしつもん>


「ジッケンなかまいりありがとう。もう一度、ジッケンするなら、なにのイロをあつめてパックにしたいですか?」

<みんなからのおへんじ>

「みかん、ぶどう」

「はだのいろ」

「ピグレットの人形の色です」

おたすけびと(エメ スズキ)⇒せんせいに質問の様子

りかおわりの会

りかレポート1 花沙

りか

花沙

やまなかうたこせんせいから、楽しいお手紙がとどく。「くらしのなかのフシギにきづく」ための、お手紙である。お手紙に沿って、まずはじゅんびたいそう。おうちの中にある、てんてん、ピカピカ、まる、ばってん、にょろにょろ・・といった、「質感」を探す。普段は気にも留めない、くらしの中の「質感」にフォーカスする。さらに、色にフォーカスするための可愛らしいキットを使って、色をよく見るという経験をする。長男(9歳)と次男(6歳)は、家にあったカラフルな巾着袋に「いろハッケンし」をあてて、色を見つけ出した。普段は、巾着袋として全体でぼんやり捉えていた物が、実は様々な色を携えていたことに気付かされる。そして小さなまるいカミに、見つけ出した色を塗る。この作業に、嬉々として取り組む。それを水の中にぽちゃんと入れると、ふわっと広がる。このとき、色もふわっと広がるのである。子どもたちは、このふわっと感に目を輝かせた。はっけんした色が薄っすらと滲んたフェイスマスクの出来上がり。少し色をつけたして、作品としてうたこせんせいにお送りした。しばらくして、動画が届いた。改めて映像という媒体を通して見ると、また特別な物に見えて、「ぼくの作ったやつ!」と嬉しそうである。実験に取り組んだ他のお友達の作品も見ることができた。みんな果物や、おぼんなど、面白い素材から色をハッケンしたんだなと思う。水性ペンの色が「ぐうぜん」に混ざり合っていて、自然な優しい色合いだ。さらに仕上げに付けたした目や口など、どれもユニークで印象的だった。

 「くらしのなかのフシギにきづく」作業は、さまざまな物の質感・色との出会いだった。さまざまな質感と出会い、「面白いな、キレイやな、不思議やな」と、子どもとやり取りをした。この一連のプロセスは、何故かほっとする。不思議な安堵感をもたらしてくれる。大人も子どもも、生活の中で悩んだり不安になったりしたら、「ここ」に戻ってきたらいいのかなと思った。

花沙(踊りと発達支援について考えるひと)

幼少より踊る身体の表現性に深い興味を覚える。神戸大学及び大学院にて舞踊教育学を修め、00年よりコンテンポラリーダンスの活動を始める。現在、立命館大学非常勤講師(ダンス)。発達凸凹の兄弟を育てる2児の母。

りかレポート2 オサム

りか

オサム

思いや愛を感じるセットだけどその熱量故か説明の紙がよみづらいと感じた、 

でもこういうのを否定したくないよねって思いつつ…。 

日常にある色を見つけてみるって案外しない事だし”まるいカミ”を水にいれるのは出来るなら私もやってみたかったです。 

最終的に送られてくる動画は音楽が良かったです、不思議な感じがして少し怖いくらいですがそれがいい味を出してるというか、好みの音楽でした(笑)。 

あとは綺麗な場所で撮ってるな~と思いました、どこなんですか一体。

 オサム(中学生)

映画鑑賞と漫画描くのが好きで、大きい音と人込みが苦手。感情を文字に出力するのが超~苦手、しかし頑張ります。頑張ります。 

りかレポート3 宮浦 宜子

りか

宮浦 宜子

「理科」という科目は、自然の事物・現象についての理解を図り、観察、実験などに関する基本的な技能を身につける、というのが、目標のひとつとされている。

やまなかうたこさんの「りか」では、その「理科」が、いくつかの工夫によって、創作遊びに変換されている。

「ヒミツのジッケン」の宿題として送られたのは、「いろハッケンし」という白い紙に等間隔に穴が開けられた紙とタブレット状の圧縮ペーパーマスク。「いろハッケンし」は、事物の表面にある、様々な色の存在に気づかせてくれる道具だ。観察するといっても、見方の傾向や解像度は子どもそれぞれ。ただ、この道具を使い、穴で色を切り取って、白地を背景にして見ることで、多くの子どもが発見の喜びを楽しめるに違いない。

さらに、発見した色で圧縮ペーパーマスクを彩色し、水で戻してマスクをつくる。このタブレットがマスクになったら、自分のつけた色はどんな風になるんだろう、とワクワクしながら水につけた、子どもたちの興奮が想像できる。これは、仮説と検証を行う、実験の第一歩だろう。彩色の効果がもう少しはっきりと現れる手法であったなら、より子どもたちの実験心を掻き立てたかもしれない。

観察と実験は、「理科」に限らず、生きる上でいろいろな領域で必要とされる技能であり、創作もそのひとつだ。この「りか」は「理科」的な思考を、子どもたちのちがいにも配慮しながら、別のかたちで楽しく体験してもらうための試みであると思う。

宮浦宜子(食卓ディレクター)

1973年北海道札幌市生まれ、兵庫県宝塚市在住。教育現場や地域コミュニティにおけるアートマネジメントに携わったのち、2016年よりLife on the tableとして、様々なものが出会い、交わる場としての「食卓」をテーマにワークショップや執筆活動を行う。

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