各かもくの終了後、せんせい+おやこ+おたすけびと(エメ スズキ)で、質問をやりとりしたり、インタビューを行いました。その一部をご紹介!
しつもんとおへんじ
橋本せんせい
「お子たちといて、本当に子供といっしょにいるのをうれしいなと思う、日常生活大変だけど、24時間とか1年、ちょっとあったりするかと思うんですよ。そんなシーン、ちょっと教えてもらえないですか?どんな時に、あー、子供いいなあ、いっしょによかったなーって、いうかね。ありますか?」
大人
「いますぐだったら、今、答えるとしたら、この感想にもなってしまうんですが、指先で触れていて、最近、感じるんですが、エネルギーがすごいなって思っていて、よく子供は、自分の支配下にしないように、子供は自分で伸びていく、そういうのを感じて、小さいけど、物凄いエネルギーを持っている人で、私はそれに引っぱられていくというのを、すごく感じて、すごい存在だなと思いました」
おたすけびと(エメ スズキ)⇒せんせいに質問の様子
たいいくレポート1 弘田 陽介
弘田 陽介
「てるぺん」という小さな小さな椅子のおもちゃをお互いの指で挟んで。
二人で運んだから大事なのだ。
二人の関係が場をつくる。
イスが行きたがっているとこに散歩させてあげる感じと橋本せんせいは言う。
二人の息を合わせて、二人の場をつくる。
さながら合気道のように。
勝った負けたじゃなくて、
二人で動いて、二人とも動かされる。
どちらかが椅子を動かすのではなく、気を通わせた椅子が二人を動かす。
その椅子をそおっと置いて、そこから離れると、二人が離れても、そこに場は残る。
宗教の聖地はこんな風に生まれたのかもしれない。
何かの思いを共有した人々がとうてい人間には運べないような大きな石を
みんなで気を通わせて、ちょうどいい場所に運ぶ。
その場所にはみんなの思いが残る。
そこに行くとその思いを感じることができる。
この思いを感じる身体を育てるようなたいいくこそが子育てなのでしょう。
終わってからお母さん方は口々に、改めていつも一緒にいる子どもたちと向き合ったと言う。
普段の身体は何なのでしょう。この時間で感じた身体は何なのでしょう。
わからないけど、みんなにこにこしてます。
弘田陽介(大学教授)
福山市立大学教育学部教授。専門はドイツ教育思想、実践的身体教育論、子どもと保育のメディア論。著書に『近代の擬態/擬態の近代 カントというテクスト・身体・人間』(東京大学出版会)、『いま、子育てどうする?;感染症・災害・AI時代を親子で生き抜くヒント集35』(彩流社)等がある。
たいいくレポート2 宮浦 宜子
宮浦 宜子
「体育」という科目は、心身の健康を保持増進し、豊かなスポーツライフを実現するための資質・能力を育成することを目指す、となっている。身体づくり体操、器械体操、陸上運動、ボール運動、表現運動など。誰もがよく知っている内容だ。
しかし、今回の「たいいく」は、そんな「体育」とは、かなり様相が違う。なんだか、落ち着いていて静かだ。さらには、親子参加である。先生の橋本久仁彦さんも、アシスタントとして娘さん、息子さんを連れてきている。家族の場への配慮を感じた。
参加した親子は、手の平ほどのサイズの木の椅子をふたりの人差し指だけで運ぶ。ゴールが決まっているわけではない。その小さな椅子を介して、お互い相手を感じながら、落とさないように運び続ける。両側から等しく支え合っている親子もいれば、上下から挟み込むように支えている親子もいる。その後は、今度は椅子のかわりに架空の蝶を運んでいるつもりになって、指をかすかに触れ合わせながら、動き続ける。さすがはおずおずだったのに、だんだん子どもが自由に動かしはじめて、親御さんが戸惑い、でもだんだん呼吸があってきてスムーズになる、というようなこともあった。
終わりの会で、親御さんのひとりが、久しぶりに1対1で向き合ったことで、子どもの中にしっかりとした意思があることに気づき、成長を感じた、と言っていた。対等に、言葉を使わず身体で感じるものに集中したからこその、発見だったのではないかと思う。ただ、このワークには比較的エモーショナルな音楽が使われていたが、この場合、音楽はニュートラルであるほうが、お互いや空間を感じる感覚に、より集中できるのではないかと感じた。
最初から最後まで「体育」らしくない授業だったけれど、この「たいいく」のような、繊細な身体コミュニケーションの時間は、いわゆる「体育」で育まれることとは違った、心身の健康にとってのビタミンのような効用をもたらしてくれるのではないかと思う。子どもにとっても、大人にとっても。
宮浦宜子(食卓ディレクター)
1973年北海道札幌市生まれ、兵庫県宝塚市在住。教育現場や地域コミュニティにおけるアートマネジメントに携わったのち、2016年よりLife on the tableとして、様々なものが出会い、交わる場としての「食卓」をテーマにワークショップや執筆活動を行う。
たいいくレポート3 ちはや
きょうかしょのきょうかしょ 「たいいく」
~とてもうつくしい すがた~
ちはや
多目的室はとっても広くて開放感あふれる場所。部屋の片隅に座って見学させていただきました。参加者は女の子とお母さんが2組。先生はアシスタントさん3人といっしょです。時間はたった20分。見ている私がドキドキしました。
まず円になって座り自己紹介。そのあとに2組の親子がしたことは、小さなイスの形をした積み木を持ち上げること。1人が使うのは指1本。2人で指2本。先生がお手本を見せてくれました。先生はこうおっしゃいました。「今までの人生の大事なものがこのイスの上に載っているように。」
どきっ。ことばの力ってなんて大きいのでしょう。私の息子は14歳の思春期で、もう一緒に何かをすることがなくなってしまいました。毎日話すこともご飯や体調のことくらい。少しさびしい。一方、参加者の女の子たちはまだ小学生。いつか彼女たちもお母さんと一緒に過ごす時間がどんどん少なくなっていくのだろう。そう思うと胸がキュンとして、目が湿りました。小さな小さなイスの上に載っている、それまでの親子の時間と、これからの時間。人生の対峙なもの。イスをはさんだ親子が、まるで二人の歴史のように対峙している。
先生は、椅子を持ち上げる前にまずおじぎをしましょう、と、おじぎをして見せます。その姿がとても美しい。そして、親子の姿も、とても、とても美しい。イスがそうっと中に浮き始める。落ちないように角度を変え、だんだん慣れてくるとイスを中心に様々な動きをする大きい人と小さい人。まるで合気道。まるで即興ダンス。子どもたちのほうが自由に動いているように見えました。お母さん達は、我が子の動きに導かれてだんだん自由になっていくようでした。先生も最後に言います。「とても美しかったです。」ああ、やっぱり。
私たち人間は、そのようなことができる。そのようなことをしている姿を見て美しいと感じることができる。そういう生き物。そういったとても大切なことを思い出させてくれる時間でした。心の中で私も深くおじぎをしました。
ちはや
ハワイ大学言語文学部修士。日本語教師。オルタナティブ教室「声のアトリエ」主宰。特別支援教育を独学で学び、Twinkle Kids「子育てぶっちゃけトーク」で育児の悩みを聞き続けて7年。日本子ども学会正会員。「オープンダイアローグ・カフェ」主催。